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UNKNOWN WORLD特別編 横浜みなとみらいホール館長・新井鷗子先生

『ONETES Plus』2026年7月12日号掲載の「UNKNOWN WORLD」特別編です。

情報誌『ONETES Plus』2026年7月12日号掲載の新井鷗子さんの「UNKNOWN WORLD」の特別編としてWebでお伝えします。取材・構成/ブランニュー・金子裕美〉

「障がい×アーツ」でオペラに挑戦

--「障がいとアーツ研究」はどのようなことに取り組んできたのですか。

新井先生 毎年、テーマ(対象となる障がい)を変えています。聴覚障がいの子どもたちをクローズアップした年があり、その時にオペラが浮かびました。オペラは総合芸術だからです。音楽、文学(物語)、美術、演劇など、オペラを形づくる要素はいろいろあるので、耳で聴く「音楽」が取り去られても、80パーセントぐらいは体験に値するものができるかもしれないと思いました。〝からだできくオペラ〟です。横浜市立ろう特別支援学校に協力していただき、耳が聞こえない方と一緒に、「聴覚以外の感覚をすべて使ってオペラをつくろう」というワークショップに挑戦しました。大きくは、まず音を理解してもらうワークショップ、次に美術を理解してもらうワークショップ、最後にその集大成となる上演という流れで行いました。例えば、オペラ歌手がアリアを歌うと喉が震えます。実際にその喉に手を触れてもらい、感じ取ってもらったり、音の振動をクッションに伝えるような装置を用意して、管楽器などの振動で感じてもらったり。外国語のオペラには必ず字幕が必要なので、画面を視覚的に伝える字幕の専用フォントを作ってもらったり、粘土で登場人物を作ってもらい、VR技術を用いた装置でクレイアニメを制作してもらったりしました。

 オペラの登場人物のイメージを嗅覚で体験してもらうために、小川香料さんという、明治時代からある老舗の香料会社さんと連携して、オペラの登場人物一人ひとりの匂いを作ってもらい、それぞれの匂いを閉じ込めたツボの中に紙のようなものを入れて、匂いを嗅げるようにしました。生徒たちは、耳で音楽を聴くことはできませんが、耳以外の感覚を全て使って、ワーグナーの『ジークフリート』というオペラの一部分を抜粋して上演しました。その時に、プロのアーティストたちとコラボしたんですね。映像や美術の人たちも動員して行ったのですが、すごく学びが大きかったのは、オペラ作品を、いろんなパラメーターごとに解体する作業を行ったことです。例えば、高音と低音、リズム……、視覚的な要素、感触的な要素など、そのオペラ作品を形づくっている要素を全部分解して、それを再構築していくような作業が必要になって、その中で「聴覚だけはなし」というルールで再構築する作業がすごく面白かったですね。 

 そもそも、その聾(ろう)の子どもたちが、音楽というものをどうやって体験しているんだろうというところから入りました。音楽嫌いなのかなと思ったら、みんな音楽が大好きなんですよ。何かが聞こえるという体験だけでなく、音楽をすごく楽しんでいて、みんなで合奏したり、アイコンタクトだけでマリンバと小太鼓と大太鼓で合奏を立派にやっていて、すごいなと思いました。音楽というものを十分に楽しんでいたので、「音」が聞こえなくても「音楽」を楽しむことはできるんだ。音と音楽はこんなに違うんだと思いました。

メロディと伴奏に分けられるのはピアノの特徴

--ところで、横浜みなとみらいホールに〝だれでもピアノ®〟は何台ありますか。


新井先生 2台になりました。アップライトピアノが1台、電子ピアノが1台です。他のホールにも入っていますが、電子ピアノなんです。自動演奏の機能が付いた電子ピアノであれば、専用のアプリを使うことによって、どのピアノも〝だれでもピアノ®〟になるので。


--自分が弾くことによって、自動的に伴奏がついてくることに、最初はびっくりしましたが、右手で演奏するだけで、両手での素晴らしい演奏を楽しめます。面白いアイデアですよね。


新井先生 メロディと伴奏に分けられるのはピアノだけのすごく大きな特徴なので、そういう意味ではユニバーサルな楽器になりやすいと思います。よく取材で「〝だれでもバイオリン〟や、〝だれでもサキソフォン〟など、他の楽器では作らないのですか」と聞かれるのですが、メロディ楽器では作りようがないのです。そういう意味では、ピアノにはメロディとハーモニーの両方を一人で弾くという特徴があるからこそ、〝だれでもピアノ®〟の開発に結びついたのだと思います。

--それは障がい者の方とコラボレーションしなければ、出てこないアイデアだったのでは?


新井先生 そう思います。宇佐美希和さんとの出会いがなければ、ヤマハの自動演奏ピアノのことは知っていても、それを障がいのある方に役立てようということは全く思わなかったと思うんですよね。それは本当にこの出会いがあればこそという感じですよね。その子が1本指でメロディを弾いていたから思いついたわけで、そこはすごく大きかったですね。その後、左手しか動かない人が「この〝だれでもピアノ®〟を弾いてみたい」と言ったんです。そのときに、伴奏にメロディが追従する、逆バージョンのデータも開発したのですが、それはうまくいきませんでした。なぜかと言うと、(右手で弾く)メロディがリードするから伴奏がついてくるのであって、(左手で弾く)伴奏がリードしてメロディが遅れてくると、変な音楽(ガタガタ)になってしまうのです。機械的に追従はできたのですが、メロディがリードして伴奏がついてくる仕組みでピアノ音楽ができているので、その逆バージョンはないんだなと思いました。

時代の流れでシニアへシフト

--「障がい」から「シニア」へシフトしたのは、時代の変化が影響しているのでしょうか。

新井先生 それはすごく大きかったと思います。〝だれでもピアノ®〟というものが障がいのある方向けに作られたものだったので、最初は障がいをもつ人を中心に、このピアノの体験会を開いていたんですね。そこへ高齢化社会の問題がものすごく社会を騒がせるようになってきて……。開発してから4、5年目のことです。認知機能の低下を予防するものとして「運動がいい」とか「リハビリがいい」とか言われている中で、楽器練習でそれができたら1番いいよね、と思っていました。でも、楽器練習はすごく大変です。バイオリンにしても、ピアノにしても、一からやると、その大変さにくじけてしまいます。ピアノの練習が楽しくなるまでに、すごく時間がかかるじゃないですか。伴奏がつくことによって練習が楽しくなれば、その練習も続くだろうということで、2020年に高齢者を対象にした〝だれでもピアノ®〟の研究を始めました。

 そのとき、すでに東京藝大インクルーシブアーツ研究グループは名古屋大学医学部附属病院先端医療開発部の杉下明隆先生と共同研究に取り組んでいたので、データを取りながら研究してみようということになり、2020年から、65歳以上の高齢者を対象とした〝だれでもピアノ®〟のレッスンシリーズを行い、血圧や心拍数や握力などの計測とアンケート調査による検証を始めました。自動演奏で伴奏がついている〝だれでもピアノ®〟で音楽体験をする人と、伴奏がついていない普通のピアノで音楽体験をする人、2つのグループ(群)を作っていろんな数値を比べてみると、幸福感や満足感は自動伴奏のない普通のピアノのほうが高かったのですが……。自動伴奏がついている〝だれでもピアノ®〟は、「自己制御力」の維持につながる可能性が示唆されました。老化現象のひとつに、我慢したり待ったりする自己制御力の衰えがありますが、〝だれでもピアノ®〟の自動伴奏に合わせることが、その自己制御力の維持につながるかもしれません。

--シニアの研究を定期的に続けていくことにしたのはなぜですか。

新井先生 ピアノを弾くことが心と体にいいということは、誰もが思っていることですが、それを証明する科学的な数字が欲しかったんです。数字で定量的に証明しないと、「とてもいいピアノなので、病院に入れてください」「老人ホームに入れてください」と言っても説得力がないじゃないですか。やはり数字的なデータはすごく大事だろうということで、1つでも多くのエビデンスを蓄積していこうということでやっていました。

--ピアノの販売に関するところまで協力するのですね。

新井先生 産学連携ってなかなかWin-Winになりづらいんです。「学」のほうばかりが要求して、「産」(企業)のほうは持ち出されてしまうばかり、というパターンが多いんですね。

 連携に関しては、もちろんヤマハが技術の持ち出しをすごくしているということはあるのですが、ヤマハの技術者の方たちに現場に足を運んでもらい、一緒に課題と向き合ったことで、「初めて自分たちが研究開発したものが使われている現場で、障がいをもつ子たちの笑顔を見ることができ、研究へのモチベーションがすごく上がった」とおっしゃってくださいました。〝だれでもピアノ®〟の発表会も、最初は技術者が来るということはありませんでした。これも社会の変化だと思うのですが、そういう社会包摂的なものに楽器の研究開発の分野でも貢献することができるということに、すごく充実感をもってくださっているようです。

--どんなことにも果敢に挑戦されている姿に力をいただきました。

新井先生 私は何かをすごくやりたいと思わないで生きてきたんです。自分はこういうものを表現したいという、根っからのアーティスト気質というよりは、人に喜んでもらいたいという思いが、すべてにおける原動力になっていると思います。

--「一人を100パーセント笑顔にできなければ、大勢を幸せにはできない」という言葉が印象に残っています。


新井先生 0は何をかけても0ですが、1はそれが1億になることもあるので、やはり1つ(100パーセントの笑顔が)あるということは、すごく大事なことだと思っています。私が「障がいとアーツ」の研究を始めたときに、みんなが楽しめるものを、と思って作っていたとしたら、おそらく半分ぐらいの人しか楽しめなかったのではないかと思います。この〝だれでもピアノ®〟は、(開発のきっかけになった)希和さんには100パーセント楽しんでもらっています。少なくとも純粋音楽(クラシック音楽)の世界では、みんなが楽しめる音楽というより、限られた人であっても、芸術的な音楽というものの素晴らしさを分かち合える人が100パーセント楽しめるものに向かいたいと思っています。 


イラスト(©稲垣悦子)は横浜みなとみらいホールで実施している「中学生プロデューサー」。みんなで曲を決めたり、「企画」「広報」の側面から、こどもの日コンサートの制作を体験できます。

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